お経の説明責任

2013-08-26
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今日は、私のCDの「理趣経」を聴き、
自分も歌ってみたい!という
小学生のお子さまにお経の練習と説明を。

このお経は真言宗で常に用いる重要なお経だが、
誤解が生じないよう、一定の修行をしないと
読んではいけない決まりになっている。

従って、本件につき、各方面から
苦言をいただくのは重々覚悟。
だが。決まりごと云々の前に、
この小学生の感性に価値を見出し、感謝したい。

「歌ってもいいけど、お経の説明させてね」
とのお願いに、すぐにご家族で来院してくれた。

般若心経を一緒に唱え、
しかるのちに理趣経の
読みかた、意味するところを伝えた。

「欲求は元気の源。悪いことじゃない。
けど、その元気を家族や友達のためにも
使ってあげてね」

もちろん、今日の手法、説明が充分とは思わないが、
関心を持ってくれている気持ちに応えるべく、
最大限努力したことでお許しいただきたい。
機会があれば今後の意欲や理解力に応じ、
より深く伝えていくことも心がけたい。

そもそも、お経には説明責任が必要だと考える。

私は葬儀の際でも、場の雰囲気に応じ、
内容の実況解説をしながら進行することを心がけている。

賛否はあろうが、私が未だ、
「あんたのお経を聴いただけで救われる」
と言われるほどの大僧正ではない以上、
説明なしにお布施をいただくほど
厚顔無恥ではない。ので。

ニュアンスはちょっと違うけど、、
お経にもインフォームドコンセント、が必要だ。

「よくわからないものこそ有り難い」
「坊さんのすることなら間違いない」
としてくれる信者さんは、今のご時世、
そう多くないので。

そのためには、先ずに以て自己研鑽が必須であることは
言うまでもない。

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コメント1件

  • Johnd943 | 2014.05.28 9:20

    Appreciate it for helping out, great information. kbfddbgedddd

    [Reply]

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